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「ファスト風土化する日本」

2004年10月07日
度々書いているように、私は郊外のロードサイドの風景が大嫌いである。ほとんど憎んでいると言ってもいい。ファミレス、ディスカウント店、家電や紳士服量販店、パチンコ屋、日本中どこに行っても同じ味気ない無個性の風景。
この風景を、みんな醜いとは思わないのか。日本中こんな風景になって、どこかおかしいと思わないのか。こんな所で暮らしていたら、何かが歪むとは思わないのか。

しかしこう思っていたのはやはり私だけではなかった。今日、「ファスト風土化する日本 - 郊外化とその病理」(三浦展 著・洋泉社新書y)という本を読み終わった。この本は、私がずっと肌で感じていたことをデータ的に証明し、論理的に整理してくれたのだ。先日新聞の書評でこの本が紹介されていて、まさに興味のあるテーマだったのですぐに買って読んだ。

著者の三浦氏は新潟県上越市出身で一橋大学卒、パルコの情報誌「アクロス」編集長、三菱総合研究所主任研究員を経て、消費・都市・文化研究シンクタンク「カルチャースタディーズ」を設立という経歴の、消費関連の専門家である。一橋大学に通っていて現在は吉祥寺に住んでいるということは、私がずっと馴染んできた中央線沿線のあの雰囲気が好きな人なのだろう。著者の故郷では著しい郊外化が進んでいるという。

著者はロードサイドのああいった風景を「ファスト風土」と名付ける。郊外の何もなかった土地に大きな道路を引き、そこに沿ってファストフード店やファミレスなどがゾロゾロ建つ。まさに促成栽培の「ファスト」な光景だ。著者はこうした風景が近年の日本社会の病理の根元だと主張する。

近年頻発する不可解な事件(佐世保の小6女児殺害事件、弘前武富士放火事件、そして各地で起こる連れ去り事件等)はほとんどが地方で発生している。三浦氏は、こうした事件現場の近くには必ずジャスコがあると指摘する。
東京にはあまりジャスコはないので、イオンの力はそれほど感じない。しかし名古屋に引っ越してきて、巨大なジャスコ中核のショッピングモールが多数あるのにちょっと驚いた。それも駅の近くではなく車でしか行けないような立地にあり、連日多数の買い物客で賑わっている。買い物には電車で都心に行くのが当たり前だった私には、これはカルチャーショックだった。

経営破綻のダイエーは、比較的駅の近くに店舗を建てていることが多い。しかしイオンは中心市街地から離れた郊外の国道沿い、インターチェンジの近くを特に狙って出店している。地方郊外は車社会だからこうした立地の方が条件がいいし、物流面でも好都合、土地も安いから大規模店を作れる。
また、地方都市は市役所なども中心部からどんどん郊外に移転させている。道路が整備され、都市機能は加速度的に郊外に分散し、中心市街地はシャッター通りとなる。

道路が整備されると人の流れも流動化し、個人は匿名化する。ジャスコのような店が出来ればさらに流動化は高まる。地方の昔ながらの社会は完全に崩壊し、どこの誰とも知れない人々が入れ替わり立ち替わりやって来る。犯罪者も道路に乗ってやって来る。実際、地方のこうした流動性の高い地区の犯罪率は東京よりも高く、少年犯罪の増加も著しい。
素朴でのどかな地方都市、というのはもう完全な幻想となっているという事実に、少なからず驚いた。確かにこっちに越して来てから、東京にいた時よりも地元の犯罪報道が多いような気はしていた。それも名古屋市より近辺の街に多いような。少なくとも私が住んでいた東京多摩地区では、近所での犯罪はそんなに意識するほどでもなかった。

日本は田中角栄の政策以来、地方に幹線道路と鉄道を引くという公共事業の連続だった。これによって地方都市の郊外化が急速に進展した。何もなかった所に車社会のニュータウンが出来、中心部で職住一致の生活をしていた人々が移り住んだ。ここにはコミュニティというものはなく、ただただ消費のみがある。
休日は家族で近くの巨大モールまで車でショッピング、というライフスタイルは、名古屋に来て初めて実感した。しかしそこで売っているのはどこでも同じ大量生産品だ。お腹が空いたらモール近くのファミレスで食事。これも全国どこでも同じ味だ。東北の郊外でも九州の郊外でも全く同じ生活。恐ろしいほどの均質化。
子供も近所には買い物出来る店がないから、親に車で連れて行ってもらう。よって自立性と社会性がなかなか育たない。

歴史ある地方都市の文化は完全に衰退し、チェーン展開の均質文化に取って代わられた。人間の体にもバーコードが入っていそうな生活。これって、本当に気持ち悪くないのか?娯楽といえば量産品ショッピングかカラオケ、パチンコ。道路ばっかり立派で何の文化もない生活。これじゃどうしたって人間は荒廃する。

情報化社会のせいで、東京の情報はいち早く地方にも波及する。昔は東京にしかないものは諦めがついたが、この消費生活に慣れたら我慢は出来ない。すると地方の道路沿いにもブランド品の店も出来、高級品が飛ぶように売れていく。現在、一般的に言って買えないものはなくなっている。地方の人も東京並みの消費生活に満足だ。

でも地方のこうした郊外消費生活では、ただただモノが点状に連なるだけで、その間につながる空気がない。地方の都市文化は寂れてしまった。東京の街が面白いのは、様々な価値観とそれに関連したモノが、多重層に複雑に絡み合っているからだ。例えば吉祥寺はおしゃれな雑貨屋もあれば有名な「いせや」のような古い焼鳥屋もあり、チェーン展開の店も個性的なショップも、若者向けの店もお年寄り向けの店も混在している。これが街の魅力だ。名古屋に吉祥寺みたいな街がないかとずっと探しているのだが。

ということで、著者は均質化した地方郊外生活から、中心市街地の復興を主張する。郊外生活は単調なので、若者がモデルに出来るような様々な職業的価値観がないが、都市には多種多様な仕事をしている人がいる。こういう姿を日頃から見ていれば、将来に希望も抱けず挫折する若者も減るのではないか、という考えである。

日本はアメリカ的郊外生活を歪んだ形で輸入したが、アメリカでも車社会の郊外生活を見直す風潮が出てきている。「ニューアーバニズム」と呼ばれるもので、車だけではなく電車も使い、人の歩けるような街作り、ヒューマンスケールの街作りを目指す。また、複合的な土地活用を志し(住むだけ、働くだけ、ではなくその両方を)、住民のコミュニケーションを促進する、といったものだ。著者はこれを日本の地方も見習うべきだと主張する。

地方で犯罪が多発する理由をもう少し突っ込んでほしかったり、地方がそんなに消費力があるならその収入源の変化も追ってほしかったり、っていう細かい不満はあるが、総体的に非常に刺激的な本だった。名古屋の郊外に住む私が日頃感じていた様々なことに、はっきりと輪郭を与えてくれた感じだ。

でも、肝心の地方住民がこの生活に満足している、という点がどうなのか。ジャスコが出来れば地元住民は大歓迎だ。東京に住んでる人間がいくら「お前らの均質生活を変えてやる」、と言っても大きなお世話と感じるのではないか。そこが気にかかる点である。
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