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『戦中派虫けら日記』『戦中派不戦日記』

2005年08月17日
山田風太郎の『戦中派虫けら日記―滅失への青春』『戦中派不戦日記』をやっと読み終えた。山田風太郎が二十歳前後の頃の、戦時中の日記である。う~ん、戦後60年という記念すべき年の8月に何とふさわしい読書だろう♪って、別にそういうつもりで読んだ訳ではなく、私は元々「天才老人」山田風太郎の作品が好きで、これはまだ読んだことがなかったからというだけである。

山田風太郎という名前を初めて知ったのは、10代の頃によく読んだ中島らものエッセイ中でだ。らも氏は山田風太郎のことを激賞していて、最も影響を受けた作家の一人だと言っていたと思う。何ていうタイトルだったか忘れたが、らも氏の作品に出てくる「ちょっとボケかかっている元フランス文学者の、庭のナスとサンリツパンばっか食ってる爺さん(後の『超老伝』の原型)」は、多少なりとも山田風太郎がモデルなのではないかと思う。らも氏が勧める作家は後の私の読書傾向に結構影響を与えたが、当時私は英米のモダンホラーばかり読んでいたので、山田風太郎の「忍法帖」シリーズにはちょっと古臭いような先入観を持ったので読むことはなかった。

私が実際に初めて山田風太郎の文章に触れたのは、1993年から95年にかけて朝日新聞の家庭欄に連載されたエッセイ『あと千回の晩飯』でだった。当時72歳の山田風太郎が、老いにまつわるあれこれを書き連ねる、という趣旨のコラムだったが、回を重ねていくうちに「ムムム、この爺さん、やはりただ者ではないぞ」と思わせる内容にグイグイ引き込まれていった。「老人の繰り言」を装いつつ、鋭い洞察と警句が散りばめられ、なおかつ自分ではままならない老化による体の不調の描写が何とも言えない滑稽さを醸し出し、巧まざるユーモアにすっかりファンになってしまった。

ここ数年、海外のホラー系やデカダン系にも飽きてきて、何か面白いものはないかと思っていた所で、山田風太郎を思い出した。文庫にまとめられた『あと千回の晩飯』を再読してみたが、やっぱり面白い。この頃から、森茉莉とか内田百とか、ある意味「電波系老人」の書いた随筆が面白く思えてきた。
で、山田風太郎をもっと知ろうと思い、関川夏央氏によるインタビュー『戦中派天才老人・山田風太郎』も読んでみた。もうこれ、たまらん!「変な爺さん」との対談は漫才みたいで、時々ものすごく鋭いことを言ったと思ったら、素知らぬ顔してボケる、というようなやり取りは面白すぎる。山田風太郎の大ファンである関川氏の聞き書きも、愛に溢れていて心地よい。
その後『死言状』など随筆系をいくつか読んだが、やはり山田風太郎といえば忍法帖なので『伊賀忍法帖』を読んでみた。ああ、変な先入観なんか持たないで、もっと早く読めば良かった!文句なく面白い。血湧き肉躍る複雑な構成、何でもありの忍術と娯楽小説の博覧会のようだ。そんでもって冷ややかで妖艶、華麗な雰囲気。特に妖婦の描き方が凄味があって秀逸だ。ひたむきで善良な「篝火(かがりび)」というヒロインと、淫蕩で欲望のまま生きる邪悪な「漁火(いさりび)」という二人の女性キャラが出てくるのだが、読んでて面白いのはやっぱ漁火の方。ヴァンプ的な魅力がある。忍法帖シリーズはたくさんあるのでまだまだ読み切れないが、とりあえず『くノ一忍法帖』は買ってあるので後で読むのが楽しみだ。

さて、前置きが長くなったが、『戦中派虫けら日記』と『戦中派不戦日記』について。『虫けら』の方は昭和17年から19年にかけての日記で、『不戦」の方は昭和20年の日記だ。山田誠也青年は大正11年(1922年)、兵庫県の山陰側の但馬という山村に生まれた。家は代々医者の家系だったが、5歳の時に父を、中学2年の時に母を亡くす。以後親戚の持ち回りで養われて成長するが、旧制中学卒業後、半ば家出状態で上京する。東京では一応医専受験の浪人生活の傍ら、沖電気の軍需工場で働く。『虫けら』は上京して少し経った頃に書き始めた日記だ。

山田青年はとにかく驚く程良く本を読む。ドストエフスキーから永井荷風からダンテから徳富蘇峰からバイロンまでと、まるで飢えたように読む。沖電気の薄給で大変な貧乏生活なのだが、書物に費やす金額は非常に多い。で、食うに困ると本を古本屋に売って、その日の夕食にありついたりする(ってか、戦時中は欧米の文学は「敵勢文学」って事で禁止されてなかったのかな?古本屋にはあったのか?)。本ばかり読んで受験勉強は全然しないので、医専の受験には一度失敗したりするが、2度目は無事東京医専(今の東京医科大学)に合格。

山田青年は不幸な生い立ちのせいで徹底的な虚無主義者で、周りの俗物をとことん軽蔑している。自分とラスコーリニコフ(『罪と罰』の主人公ね)を重ね合わせたりする所は、いかにも早熟で知的な二十歳前後の青年らしくてちょっと微笑ましい。こういうのはいつの時代も変わらないものだ。って言っても今のこの世代の若者が『罪と罰』を読んでるかどうかは怪しいが。そんな感じでいつも超然としているので、沖電気の同僚や医専の同級生からは、取っつきにくいけど妙に尊敬されてたりする。

そんな山田青年が描写する戦時中の庶民の生活は、非常に冷静な眼差しで見つめられている。戦争中というのは国民全員が軍国主義に洗脳されていたのかと思っていたが、これを読むと意外とそういう訳ではなく、みんな結構言いたいことを言っていたようだ。国民は皆、日本が負けるとは思ってはいない。というか、負ける訳にはいかないと強く思っている。しかし、次第に逼迫(ひっぱく)していく食糧事情、物資不足に、「ほんとに大丈夫なんかいな」と漠然とした不安感を軍部に対して持っている。昭和20年になると毎日のように激しい空襲にさらされるが、日本軍はまったくB29を撃退してくれない。否応なく「もしかしたら負けるのではないか」という不安がよぎる。

『虫けら』で感じられるのは、とにかくひどい食糧難だ。ご飯も白米の割合がだんだん減っていき、いつの間にか芋雑炊しか食べられなくなってくる。戦争が長引くに連れて、ものすごいインフレになっていく。いつ終わるとも知れぬ戦争に、民衆はとことん疲労感を感じている。
『不戦』の昭和20年は激しい空襲や原爆投下、そして敗戦、占領とドラマチックだ。戦時中は学校もほとんど閉鎖状態で、軍医を促成で養成出来る医学校だけが学校として機能していた。山田青年と同世代の若者達はみな戦線に行くが、彼は赤紙が来てもひょろひょろの虚弱体質で健康診断で落ちて、「不戦」で戦時下を過ごした。

「戦争の記録」というのは政治的なものはよくあったりするが、こういう民衆の側からの冷静な記録というのはあまり見たことがなかったので、どんな生活だったのかかなり実感を持つことが出来た。
戦争中は軍部礼賛の姿勢を取っていた知識人たちが、敗戦後は一転して「民主主義」全面肯定となるのを、山田青年は苦々しく見つめている。戦時中は軍部によってまるで悪鬼のようだと吹き込まれていたアメリカ兵が、占領軍として実際に見てみると陽気で朗らかなのに驚いたり。そしてアメリカの圧倒的な豊かさを見せつけられる。日本人はアメリカ人の陽気な素顔に参り、その豊かさに「これじゃ勝てるはずもない」と悟る。そして今まで信じていた「大日本帝国」の化けの皮がはがれ、あれだけ苦しかった戦争が一体何のためだったのかと無常観を抱く。
この辺の日本人の戦時中と敗戦後の心境の変化が、これを読むまではいまいちよく分からなかった。軍国主義だったのがいきなり民主主義に替わるなんて、どうしたって理解出来なかった。でもこれを読んで、戦後の日本がアメリカの豊かさに憧れて、ずっとその背中を追いかけてきたというのがよく分かった気がした。

私は戦争の悲惨さを声高に訴えるような作品は好きではないが(だから小学生の頃も「はだしのゲン」よりは松谷みよ子の「ふたりのイーダ」の方がずっと心に響いた)、こういう冷静な民衆側の記録はきっと「あの時代」を理解する助けとなってくれるはずだ。
そして、この日記は明らかに山田風太郎作品の原点である。
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