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「HERS」表紙の萬田に度肝を抜かれる

2009年10月20日


今日は♪はつ~か30日 5%オ~フ♪のイオンお客様感謝デーなので、近所のマックスバリュに買い物に行った。ポイントが10倍になるから見逃せない!

で、ちょっと雑誌コーナーをのぞいたら、見つけたこの「HERS」という雑誌↑。
こ、この表紙は・・・・・と思わず手に取ったが、萬田の姿に言葉も出ず、開く勇気もなく棚に戻した。

「HERS」は光文社の50代女性をターゲットにした雑誌である。萬田久子がイメージモデルらしい。
確かにこの秋冬は「ロックテイスト」がトレンドだが、これはないんじゃないか?
顔がついて行ってないのがもう痛々しい。
顔にしわがあっても、シーナ&ロケッツのシーナとか、バービーボーイズの杏子とかならこういう格好をしても様になる。でも全くロック臭のない顔の萬田がこういうのを着るのには無理がありすぎる。

まぁこのコートは良しとしても、このタイツはないだろう。こういうの履いていいのはぴちぴちした脚の20代まで。
中に着た服ももっと抑えた色合いなら良かったのかも知れないが、やっぱ50代のミニスカートはやめようぜ(^^;

私もやっぱりロックテイストの服装が大好きだが、「中年」となった今ではそのものズバリのロックファッションは控えるようにしている。本人は好きでも、周囲から見たら「痛いおばさん」になっている可能性大(^^;
全体をブラック系でまとめて、ちょっとゴツめのアクセサリーを着けて「ロックっぽいムード」を匂わせるくらいにしておく方がかっこいいのだ。
それとかちょっととんがった雰囲気のモード系の服にするとか。ゴルチェはもうやめとけ(笑)。

萬田久子は昔は結構好きな方だったのだが、「デスパレートな妻たち」のスーザンの吹き替えのあまりにも棒っぷりにあきれ果て、大嫌いになった(笑)。
だからって訳でもないが、やっぱりこの表紙はこの雑誌の痛さを表現しているようで正視出来ないのであった。
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『都と京』/酒井順子 著

2009年05月17日
千年の都、京都。
東京なんかよりもず~~~っと長い間都会だったこの街の「常識」みたいなものに、前から興味があった。
以前、「京都では、誰かがものをくれると言ったら7回断らなければならない」というのを聞いて、なんだかものすごく納得したと同時に、長い長い年月の間に極度に洗練された人間関係を垣間見た気がした。そして、私だったら絶対この街には住めない、とも思った。旅行だけだったらいいけど。

昨年の秋に私も京都に一泊で旅行に行ったのだが(この記事この記事この記事)、その時に「まさに京都人の態度!」というのに出くわした。

京都にはアメリカから友人が来るので会いに行ったのだが、先斗町の湯豆腐屋さんに現地集合、ということになった(合計8人)。どんなお店か分かりやすいようにぐるなびのページのURLをメールしておいたので、みんなその地図のページをプリントアウトしてきていた。ぐるなびの地図ページにはクーポンが同時に載っているので、せっかくだからと「ワンドリンクサービス」をお願いした。私たちの面々にはアメリカ人のダンナさん2人もいて、一応全員ウーロン茶をお願いした。
でも、メニューを見ているとゆずのお酒とか「和」な感じのドリンクが載っていたので、ダンナさんズはこれもオーダーしたいと。
私たちのテーブルに付いたのは、小意地の悪そうな(笑)「いかにも京女」という感じの初老の女性。彼女にサービスドリンクとは別に、このゆず酒などを注文すると、小馬鹿にしたような表情を浮かべ、「まずはさっきのウーロン茶から」と一蹴されてしまった。へ?ウーロン茶はタダだけど、ゆず酒はちゃんとお金払うのに。お姐さん、せっかくの注文、チャラにしちゃっていーんですか?

彼女としては、「ちゃんと京のやり方を守ってくれまへんと困りますさかいに~(テキトー京言葉)。これだから田舎もんはいややわぁ」(←京都以外はアメリカも何もかも全部田舎)、という態度だったのだろう。
これに近い接客態度を、私はパリでも受けたことがある。大学生の時、イギリス一周の帰りにちょっとパリに寄ったのだが、街のケーキ屋さんでたどたどしい注文をしたときに、店員のねーちゃんにこういう顔をされた。同じような場面は、『ビバリーヒルズ青春白書』でドナがパリに短期留学したときのエピソードにもあったので、私は思わず「そうそう、あるあるある!!!」と至極納得。
京都人とパリ人はよく似ているとしばしば言われるが、どちらも自分の街が世界一歴史と文化で優れていて、自分の街以外は全部田舎、と思っている点で似ているのだろう。

と、まぁ京都でそんな場面に遭ったのだが、このお店の名誉のためにも言っておくが、お料理はとっても美味しかった。ダンナさんズにも「Good choice!」と喜んでいただけた♪2千円以下のランチで、いかにも京都っぽい湯豆腐コース、というのはなかなかない。
ああいう「これだから田舎もんは・・・」という接客は、多分京都のどこに行ってもあるのだろう(笑)。


・・・・・・・ということで、前置きがすごく長くなってしまったが、そんな体験もあって京都のそういう常識とか感覚的なものに興味が増していたところに、新聞の書評に酒井順子の「都と京(みやことみやこ)」という本の文庫が載っていた。そう、あの賛否両論で社会現象にもなった「負け犬の遠吠え」の著者である。
書評によると、京都と東京の鋭い比較文化エッセイ、ということなので、これこそまさに私の読みたかった内容だ!と本屋に走った(なかなか見つからなかったので大変だったが)。

酒井順子の本を読むのはこれが初めてだが、30を過ぎてからなんだかものすごく京都にはまってしまい、以後ずっと通い続けているらしい。
彼女は東京生まれ東京育ち(荻窪辺りらしい)で、西荻窪生まれの私と結構育った環境が似ているので(私が育ったのはもっと西の方だけど)、彼女の視点は比較的私と近い。だから、「うん、なるほど!」と膝を打った箇所がいくつもあった。

この本は単行本の文庫化だが、言葉、料理、節約、贈答、祭り、神仏、大学、若者、敬語、女、などの観点から、京都と東京を比較している。
中でも「ほ~」と思ったのが「贈答:おためとお返し」の項。京都の贈答文化は、それはそれは複雑で大変らしい。
京都では結婚祝いを結婚披露宴会場に持っていくなどということはせず、式より前に新郎or新婦の自宅に直接持っていくのが正式らしい。しかも、その金封は結納屋さんで揃えた結婚祝いセットと共に塗りのお盆に載せて袱紗(ふくさ)をかけて風呂敷で包み、大安のよき日の午前中に、きちんとした格好で訪問して届けるらしい。届ける方もめんどくさいが、迎える側は知り合いの数だけこの儀式をするわけだし、結婚前の休日は本当に忙しいらしい。
で、お祝いをいただいたら、速攻でお返し。これはお祝いの1割を現金でその場で返す、というのにびっくり(「おため」と言うらしい)。
「おため」は結婚祝いに限らず、旅行のお土産などをもらってもその場で返す。とにかく「手渡し」、もらったら絶対その場で返す、ということにこだわる。
これに対して東京の場合は、結婚祝いのお返しは後日宅配だし、旅行のお土産は「今度自分が行ったら何か買ってこよう」程度。おごられても、こっちが特に好意を持っている相手でなければおごられっぱなしでも平気。
濃厚な双方向文化である京都に対し、一方的なものでもかまわない東京、という点になるほどと思ったのであった。

他の項目も「なるほどね~」と思うところが多々あり(件〔くだん〕の「田舎」の項目とか)、平明な文章ながら、なかなか鋭く深い比較文化論。京都人というものがずいぶんと理解できたような気がした。

とても面白く読めたので、後日「負け犬の遠吠え」も買ってみた。これは社会現象になっただけのことはあり、パワフルな面白さ。これについては後ほど書こうと思う(今更ですが)。

「都と京」、京都に興味がある人は読んで損はない本だ。おすすめ。

「毎日かあさん3 背脂編」

2006年05月19日
ダンナさんが西原理恵子の「毎日かあさん3 背脂編」を買ってきたので、赤ちゃんを寝かしつけてお風呂に入った後の、みんな寝静まった深夜(唯一の自由時間なのでついつい夜更かし)に一気に読んだ。
うちのダンナさんは大のサイバラファンで、多分彼女の作品はほとんど持ってるんじゃないか。サイバラ邸の畳一枚分くらいはダンナさんが印税に貢献してるんじゃないかと思う(笑)。ダンナさんはヤフオクでサイバラの自費出版作品も落としていたが(サイバラ事務所が出品)、これって出版社通してないから全部自分の稼ぎになるんだよな。多分税金申告からも外してるよな。これを聞いて、ものすごい守銭奴ぶりにちょっと退いたが(^^;

で、ダンナさんは「毎日かあさん」の前2作(「カニ母編」「お入学編」)を私が出産入院中に持ってきてくれたので、生まれたばかりの赤ちゃんの世話をしながらじっくり読んだ。これを読んで、男の子じゃなくて女の子が生まれてほんとに良かった、と思った(笑)。男の子はとにかく予測の全く付かない行動に出るらしいので、私の初めての子供は男の子は絶対無理だ。

サイバラ家の子供は上が男の子で下に女の子がいて、1巻では保育園生だったお兄ちゃんが、最新作では小学2年生。1巻ではダンナさんと暮らしていたのだが、連載中にダンナの酒のせいで離婚。アルコール依存症で何度も死にかけてるが、近くに住んでいて時々家族デートをしている。それと、高知から呼び寄せたサイバラ母も同居。
これを読んでると、男の子は根っからの子供(っていうか天然?)で、女の子は小さいながらも女である、ってのがよく分かる。お兄ちゃんは理解不能のものすごい遊びに没頭し、妹の方はお父さんの涙腺緩ませ攻撃に長けている。う~ん、うちの赤ちゃんもパパのツボをくすぐるコケットになるんだろうか?(笑)
これからの先の長い育児生活のスタートラインに立っている私はなにかと不安でいっぱいになりがちだが、もっと肩の力を抜いて、大きな愛で子供を包んでいればいいんだ、とこれを読んで思った。

あと、サイバラとお母さん友達の関係がなんかいいな~と思った。特に男の子を持つお母さん同士で、予測不可能な息子の行動を嘆きつつ飲み会、ってのがいい感じ。よく「ママ友」グループでのいじめとかハブられたりとか、陰湿な関係を聞くのでママ友ってのにかなりビビッてる私だが(全くいい年して小学生のいじめかよ)、こういうのだったらいいよなぁ。ってか、やっぱあのサイバラだからくだらんバカ女は近寄らないのかな。

名古屋には全く友達がいないので、赤ちゃんが外遊びを始める頃になったら育児サークルにでも入ろうか、とちょっと考えてるんだけど、そういう変なグループみたいなのがあったら嫌だしなぁ。調べてみたら、近くにかなり大きなサークルがあるらしい。幼稚園の評判とか聞いたりしたいし、赤ちゃんの遊び友達もいた方がいいし。
でも、女ばっか集まるとろくな事がない、ってのは身を持って体験しているしなぁ。以前、女ばっかの会社に勤めたことがあるが、ひどい目にあった。あと、サークルのお母さんたちが20代の若い人ばっかだったりするとまたきつい。高齢ママはいるのか。

私一人だったら、別にサークルなんかに入って友達作り、なんてしたくないんだけどね。元々一人でフラフラ行動するのが好きだし。
でも赤ちゃんのことを思うとそうもねぇ。私の母もそういうタイプだったので、私が赤ちゃんの頃は文庫本を読みながらベビーカーを押して公園を散歩してたと近所で有名だったらしい(笑)。あ~、だから私もおんなじようなタイプになっちゃったじゃないか~!大人になってからはこういう性格の方がかえっていい面もあるけど、小中学生の時は社交性のなさで結構苦労したので、赤ちゃんも似ちゃったら困るなぁ。
私は会社とかでも同僚とランチなんてまっぴらごめん、っていうタイプだったので(昼休みくらい一人でいたい)超然としてたら、似たようなタイプの人と自然と仲良くなった。お母さん友達ともこういう風に仲良くなれたらいいな。私一人だったら超然ともできるのだが、赤ちゃんのことを考えるとなんか弱気になっちゃうので頑張らねば。

雑誌大人買い

2006年04月22日
肩こりがどうにもひどいので、赤ちゃんをダンナさんに預けて池下のマナハンズという所にマッサージしてもらいに行く。60分のボディケアコースで通常は4500円の所、HPを見て行ったということで3500円に。気持ちよくて途中でちょっと寝ちゃった。アジアンなムードで結構良かった。また行こう。

さて、マッサージ後はKinder Bookという紅茶が充実の本がたくさんあるカフェで休憩して(カメラ忘れたのでレポはなし)、本屋へ。今までだったら長時間かけていろんな雑誌を立ち読みして情報収集していたが、子持ちになるとそんな時間はない。ってことで興味のある雑誌をドドッと大人買い。Time Is Moneyなのであった。
買った雑誌はてんでんバラバラ。まぁ私のいろんな面を表してるって事で。買ったのは、

Crossbeat 6月号
もちろん「ロックな私」の一面ね。Red Hot Chili Peppersのアンソニーが表紙。いつもだったら新譜のレビューをざっと読んで何を買うか頭に入れとくのだが、今月はCalexicoのレビューとインタビューが載ってたので、家でじっくり読みたいので購入。Crossbeatについては別の記事で詳しく書こうと思う。

Fudge 5月号
「エッジーな私」の一面よ♪もう妊婦じゃなくなったのでおしゃれ心も復活し、ファッション雑誌を買いたい気分に。Fudgeのスタイルはいわゆる「モテ系」ファッションとは100万光年のかなたにあるようなものなので好きなのであった。Fudgeについてはこちらの記事でも書いてます。

Saita 5月号
でもFudgeのファッションをそのまま実現するのはなかなかハードなので、もっと気楽なのも読みたくなった庶民な私の一面(笑)。初めて買ったけど、ファッション要素が多い「オレンジページ」みたいな感じか。こういうのを買うようになって、なんか既婚者になったなぁ、という気分。まぁでもインテリアとか料理とかちょこちょこつまみ食い感覚で載ってるので結構使えそうな感じ。

ラクラクおやつ応援団―また作ってね!ちょっと自慢の363品!
これは雑誌じゃなくてお菓子作りのムック本。「おはよう奥さん」の特別編集だ。ああ(笑)。私は小学生の頃からお菓子作りが趣味なのだが、昔は華麗なケーキのレシピ本をよく買っていた。しかし、もうウン十年も作ってるとラクチンアイデア系の方がやりたくなる。ホットケーキミックスとかパンの耳とかで作るヤツ(笑)。まだ早いけど、赤ちゃんにこういうので早くおやつ作ってあげたいな。おやつは1歳を過ぎないとあげちゃいけないらしい。幼稚園に入ったら一緒に作りたい。

Kelly 6月号
これは東海エリアの若い女性向け情報誌。東京でいえば「OZマガジン」とか「Caz」「Hanako」みたいな感じ。Kellyのライバル誌に「Cheek」というのもあるのだが、Cheekの方はもっとギャルっぽい内容っていうか、あけすけなエロ企画とかもあるのであんまり好きじゃない。Kellyはもっとニュートラルな感じなので、こっちの方を時々買う。今月はパン屋さん特集なので購入。去年、ミッフィーブランケットをもらうためにフジパンを死ぬほど食べて(こちらの記事参照)、スーパーの食パンはもう見るのも嫌になり、以来パン屋さんのパンを食べている。最近はおいしいパン屋さんを見付けるのがちょっとしたマイブーム。

Pen 5月1日号
この雑誌は「男性ライフスタイル誌」だそうだが、デザイン系の企画が多いので時々買っている。誌面が美しいので好き。ロシア・アヴァンギャルドの企画とかもあったし。今月は「自転車のある美しい暮らし」という特集。自転車での都会生活をいろいろ紹介してて、世界各国のチャリンコ事情が面白い。赤ちゃんが生まれてからはなんとかかっこいいママチャリを探そうとしてるのだが、ドイツの建築家が乗ってるチャリがすごいかっこいい。おしゃれチャリに子供用の折りたたみサドルをくっつけてお嬢さんと一緒に乗ってるそうだが、これ、日本でも手に入らないかな。あとデンマークの「トランスポートバイク」というものすごく大きな荷台付きの三輪車もいいぞっ!前に2輪でちょっとした浴槽くらいの大きなかご(っていうか箱)が乗っかってるのだが、これに子供や荷物を載せて走ってるのがコペンハーゲンでは当たり前らしい。これも欲しいぞ!
あとは様々なかっこいいチャリのカタログがあるが、子供いなかったら買っちゃうんだけどな~。子供を乗せられるかっこいいチャリだったら、20万くらい出してもいいぞ。

ふぅ、6冊も買ったのか。読んだ後の処分が大変だぁ。

「名古屋嬢ライフ」

2006年02月12日
近所のブックオフにブラッと入って見付けた「名古屋嬢ライフ―そのゴージャスでパワフルな生き方」(世木みやび 著)という本。350円だったので気楽に買ってみた。
世木みやびという人は、1698年生まれの名古屋を中心に活動するコスメ評論家・エッセイスト・タレントだそうである。この本は、生粋の元祖名古屋嬢である著者が、名古屋嬢の実態を解説したものである。

名古屋嬢というと思い浮かぶのは、あの「名古屋巻き」と呼ばれる髪型、ブランド物好き、分かりやすい男受けラブリー系ファッション、という感じか。
著者は名古屋の下町出身で、名古屋の大学在学中にタレント活動開始、卒業後は某有名輸入車販売会社(ヤナセか?)に入社したものの2ヶ月で退社、その後は生保会社の営業職に天性の才能を発揮してトップセールスを誇り、その後会社を興して現在に至る、という経歴だそうだ。学生時代から遊びまくりらしいが、現在は「負け犬名古屋嬢」と開き直っているからか語り口はさっぱりとしていていい。

著者によると、名古屋嬢は「見栄っ張り」「ミーハー」「金銭感覚にシビア」「男のステイタスにこだわる」「『箱入り娘』をアピール」「計算高い」「したたか」「お友達とお揃い・ラブリーファッション大好き」「お水バイト経験率高し」という特徴が挙げられる。う~ん、客観的に見て、こういうタイプの女って私の一番苦手な部類だ。そもそもラブリー系が好きな女とはウマが合った試しがない。

名古屋ブームが来る前に書かれた名古屋本では、名古屋では質素を美徳とし、贅沢は罪とする素地があるので、若い子はブランドものは買わない、という記述があったのだが、「名古屋嬢=ブランド尽くし」という構図は一体どう説明が付くんだと名古屋に来て以来思っていた。しかしこの疑問も本書によって解決!
名古屋は古風な家が多く、娘は決して県外の大学には行かせない。もちろん自宅通学で、卒業後も名古屋の会社に就職する。社会人になっても自宅に住むパラサイトが圧倒的に多いらしい(これは女子に限らない。私の数少ない経験でも、美容院の若い男性美容師さんに話を聞くと自宅から通ってる人が多かった)。
そういう気質なので、結婚後も相手の家族と同居する場合が多く、代々「嫁姑」の大奥が繰り広げられてきた。しかし、ここ数年、名古屋嬢の母親世代の「嫁」の反乱(氷川きよしや韓流ブーム)によって大奥はほぼ崩壊。これをきっかけにあらゆる御法度が解禁され、「贅沢は罪」もどこへやら、母娘でブランドものを買い漁る。金のしゃちほこを見ても分かるように、名古屋は「分かりやすいゴージャスさ」を愛する土地、ブランドものは簡単にゴージャス感を演出出来る便利なアイテムだ。しかも、東京人や大阪人に比べて自分のセンスに確固たる自信がない名古屋人にとっては、世間的に価値が認められてるブランドものは都合がいい。そして、「由緒正しい家=古風な家」という名古屋の常識は「古風な家→旧家→お金持ち→ブランドもの多数所有」という風に都合良く変えられ、かくして名古屋嬢はブランドもので身を固めるようになったのだそうだ。実家住まいだからお小遣いも多いし。

で、一応「古風な家」が多いことは分かったが、いまいち納得いかないのが「お水バイトの経験率の高さ」という項目だ。まぁ名古屋嬢の外見はどう見てもキャバ嬢としか思えなかった私は、「ああ、そうか、実際やってたのか」と合点はいったのだが、家族と同居しててしつけも厳しいのに、お水バイトなんて可能なんだろうか。著者によると、名古屋嬢は他の都市の若い女性に比べて遥かにこういうバイトへの抵抗感が少ないらしい。著者も学生時代にコンパニオンのバイトをしてたそうだ。で、こういうバイトを通じて「計算高くしたたかに」男を見る目を養う修行をするらしい。

ということでいろいろ他にも名古屋女性のリアルな感覚が分かって面白かったのだが、赤ちゃんが大きくなるに連れて地元ママと付き合う機会も増える時、果たしてこういう元「見栄っ張り名古屋嬢」とうまくやっていけるのかどうか非常に不安になった(^^; 私が一番苦手なのって、見栄っ張り女なんだよ~(泣)。

CREA 11月号特集「母になる!」

2005年10月11日
今月号の『CREA』の特集は「母になる!」という妊娠・出産・子育てに関するもので、まさにジャストタイミングなので買ってみた。CREAは特集によってたまに買うことがあるが(恒例の猫特集はやっぱりグラッと来るわな)、今回のような特集を組むのは、やはり少子化対策か?こうした一般女性誌の特集は視点が出産専門誌(たまひよとか)とは違って、いろいろと面白かった。

まずはハリウッドセレブの妊婦姿のグラビアがドドーンと大迫力。みんな堂々とおなかを主張していて、下手すりゃ腹出しファッションなんかだし。もうおなかを隠す時代は終わったのね。ってか、「子供がいる」っていうのがセールスポイントになる時代になったのね。
他に冨永愛やともさかりえ、桜沢エリカなど日本の「セレブ」出産経験者のインタビューとか。
あとファッションブランドプレスとか外資ホテルマネージャー、メイクアップアーティストなど、かっこいい職業の一般人ママの一日紹介というコーナーがあったが、なんでこういうのも「各界セレブ」なんかな。一般人じゃん。どうも日本のメディアの「セレブ」という言葉の使い方には面はゆさを感じる。
まぁとにかく、全体を通してあくまでも「ワーキングマザー」を焦点にしているのが、子育て専門誌とは違う点だ。専門誌はどっちかというと専業主婦的な視点だし。

彼女たちはフルタイムでバリバリ働いているが、影に見え隠れするのが実家や義母によるヘルプだ。やっぱり親のヘルプがないと、フルタイムではなかなか働けないよなぁ。彼女たちはみな東京で働いているから、実家は首都圏ということになる。ということは、地方出身の女性はなかなかフルタイムでは職場復帰出来ないのだろうか。出産を機に専業主婦になるか、せいぜいパート勤務か。そうすると、フルタイムでキャリアを積める女性とは、自然と世帯当たりの収入にも差が付いてくる。
先日、三浦展氏の『下流社会 新たな階層集団の出現』という本を読んで、ちょうど日本社会の階層的二極化について興味を持っていたのでいろいろと考えさせられたが、確かに三浦氏の言うように地方出身女性は「上流」にはなりにくいのかも知れない。

私の場合、そういうのとは逆パターン、つまり東京から地方に移住して出産する訳だが、やはり一切親のヘルプを頼ることは出来ない。出産直前まで仕事しなきゃいけないし、産後も出来るだけ早く復帰しないといけないので、里帰り出産もしない。まぁSOHOワーカーなのが何よりの救いだが、とにかく自分とダンナさんだけで乗り切るしかない。ほんとに大丈夫なのか今から不安だ。
まぁ頼れる親がすぐ側にいるなら頼るに越したことはないが、東京に住んでいた時、いとこが専業主婦なのにめちゃめちゃ実家べったりだったのはちょっとな~と思っていた。親も孫に会えるから喜んでるんだろうけど、仮にも実家から独立したんだから、なんかみっともないっていうか。もう少し独立したっていう気概を見せてもいいよなぁ。

さて、CREAの特集に戻るが、やっぱ専門誌と違うなぁと思ったのは、妊娠線予防クリームとして紹介してるのが、クラランスなんかの高級外資系ブランドの化粧品って所だ。専門誌だとピジョンとかだもんなぁ。ちなみに私が今使ってるのはアカチャンホンポのオリジナルクリーム(笑)。ああ、庶民だ。
ベビー服もエルメスとかD&Gとかで実用性ゼロの紹介記事だが、ゴージャスで楽しいイメージ作りには有効だ。「子育て=地味・つまらない」というのは払拭出来そうだ。ベビー雑貨もおしゃれでかわいいのがいっぱいだし。

あと、この特集を読んでいて、意外と子供連れOKのホテルやレストランが多い、ということを知った。私も今は夫婦で度々おしゃれなレストランにも行けるけど、これが子供産んだら当分お預けだ~、と行くたびに思って落ち込んでいたが、案外大丈夫かも。「Chanko Dining 若」もOKらしいぞ(笑)。旅行も確かにClub Medなんかだったら、キッズアクティビティコースなんかに預けちゃって、大人はゆっくり出来そう。これからのビジネスは、こういう面を充実していくのがカギだな。
つわり期間中やたらと餃子が食べたくて、ファミレスなんて滅多に行かないのに思わずバーミヤンに入ったことがあったが、「ファミレスなら子供が騒いでもOK」というスタンスの親があまりにも多くて驚いた。小学1年生くらいの男の子連れの母親5,6人のグループがいたのだが、母親達は「親テーブル」でおしゃべりに夢中で、子供達は別テーブル(私の隣)に固まって、もう好き放題に暴れていた。やっぱり子供産んでもファミレスはやだなぁ、とつくづく思ったのであった。私はきちんとしつけして、ちゃんとしたレストランにも入れるような子供に育てよう(笑)。

私の母は「母親というものは、子育て期間中は自分の欲望を抑える、ということを経験しなければいけない」というようなことを言っていたが、私達は高度消費社会で育ち、おまけに晩婚化で気ままな独身生活が長かったから、そうそう自分の欲望なんて抑えられない。おしゃれしてディナーに行きたいし、素敵なリゾートホテルに泊まりたいし、小洒落たお店でショッピングもしたい。コブ付きになったからって急にこういう事を我慢すると、ストレスがたまってヒステリー母になりそうだ。髪を振り乱し、すっぴんで子育てなんて冗談ポイよ。
この特集は、そういうことを我慢しなくても、おしゃれに子育てライフは楽しめる、ということを教えてくれていて、そういう理由で出産を尻込みしていた女性の背中を押してくれそうだ。

まぁ、それ相応のお金があればの話だが。

『くノ一忍法帖』

2005年08月29日
こちらの記事でも書いたが、買ってあった山田風太郎の『くノ一忍法帖』を読み終えた。
いやぁ~、すごいっ!久々に「作者の筆力」というものに圧倒された感じだ。遥か昔の10代の頃、スティーブン・キングの作品を初めて読んだ時を思い出すような(確か初めて読んだキングの作品は『クリスティーン』だったと思う)。ものすごい力業でねじ伏せられたような気分だ。

物語は大坂城落城の直後という設定で、家康の孫娘で豊臣秀頼に嫁いでいた千姫は、落城前夜に救出され、現在は家康の庇護下で江戸の屋敷に住んでいる。しかし、救出直前に、千姫の承認のもと、真田幸村は千姫の侍女の中に忍ばせていた女忍者5人に、秀頼の子種を身ごもらせる。徳川家の血を引きながら、秀頼の復讐に燃える千姫は、この女忍者達が産む秀頼の子によって徳川家に揺さぶりをかけようとしていた。それを知った家康は、子供が産まれる前に女忍者達の抹殺を伊賀忍者に命ずる。千姫のことは目に入れても痛くない家康だが、いったん滅ぼした豊臣家の血が復活することは断じて許せない。かくして真田の女忍者と伊賀忍者の死闘が始まる・・・。

というストーリーで、数々の奇想天外な忍法が出てくるのだが、これが全部エロ忍法(笑)。行為中に相手の男の生命をすべて吸い取って枯らしてしまう「忍法 筒枯らし」とか、数え切れないほどの裸の女の生々しい幻を男に見せて狂わせる「忍法 幻菩薩」とか、とにかく全部そういう系の忍法ばっかりだ。伊賀忍者(全部男)の使う忍法も全部エロ忍法。で、真田の女忍者と伊賀の男忍者はこのエロ忍法合戦でバッタバッタと殺し合っていく。
伊賀忍者達はどいつもこいつも精力絶倫の徹底的な悪人で、女忍者達はどれも妖しい魅力を持った絶世の美女。これがエロ忍法を使いまくって殺し合うんだから、面白くない訳がない。

忍者合戦に後の春日局である阿福といった実在の人物が絡んだりと、絶妙に虚実を織り交ぜて、極めて複雑精巧に構築されたストーリーは見事としかいいようがない。また、氷の意志を持って冷たく燃える美しい千姫は、ひやりと妖艶で魅力的だ。山田風太郎はこういう月のような女を描くのが上手いと思う。
あと、所々で出てくる忍法の「現代的な」解説だが、医学を修めた作者らしく書いてあるのがちょっと微笑ましい。

巻末で花村萬月も書いているが、確かに山田風太郎の作品には麻薬のような魅力があり、耽溺してしまう毒物が入っている。物語は社会体制や人間としての論理道徳をせせら笑うような内容であり、どこから見ても「悪書」に違いない。なんていうか、とても「ロック」な感じだ。
バッタバッタと登場人物が死んでいく所は、『バトルロワイヤル』にはまった若い読者にもおすすめだ(ってか、こういう手法は山田風太郎の方がオリジネイターだ)。

ヴィレッジヴァンガードには山田風太郎の作品って置いてないよな、確か。あの店のセレクトの趣旨で行けば、こういう内容なんだからあって当然なのに、ないとは何たることか。いつも感じていたことだが、あの店の棚は何となく紋切り型の「サブカル臭」「ロック臭」がして、型にはまったセレクトだ。村上龍とか夢野久作とかバロウズとかブコウスキーみたいな「いかにも」ばっかじゃなくて、こういう作家も並べればいいのに。

今はあらゆる著名人の死に様を集めた『人間臨終図巻〈1〉』を読んでいるのだが(これ、全3巻あって読み終わるのが大変だ)、今年の夏から秋は久々に山田風太郎のマイブームが吹き荒れているのであった。改めてすごい作家だと思う。彼の作品に出会えた人は、きっと耽溺すること必至だ。

追記:
今、宣伝をよくやってる仲間由紀恵とオダギリジョーの映画「SHINOBI」は、「甲賀忍法帖」が原作なんだそうだ。再びブームが来るのか?

『戦中派虫けら日記』『戦中派不戦日記』

2005年08月17日
山田風太郎の『戦中派虫けら日記―滅失への青春』『戦中派不戦日記』をやっと読み終えた。山田風太郎が二十歳前後の頃の、戦時中の日記である。う~ん、戦後60年という記念すべき年の8月に何とふさわしい読書だろう♪って、別にそういうつもりで読んだ訳ではなく、私は元々「天才老人」山田風太郎の作品が好きで、これはまだ読んだことがなかったからというだけである。

山田風太郎という名前を初めて知ったのは、10代の頃によく読んだ中島らものエッセイ中でだ。らも氏は山田風太郎のことを激賞していて、最も影響を受けた作家の一人だと言っていたと思う。何ていうタイトルだったか忘れたが、らも氏の作品に出てくる「ちょっとボケかかっている元フランス文学者の、庭のナスとサンリツパンばっか食ってる爺さん(後の『超老伝』の原型)」は、多少なりとも山田風太郎がモデルなのではないかと思う。らも氏が勧める作家は後の私の読書傾向に結構影響を与えたが、当時私は英米のモダンホラーばかり読んでいたので、山田風太郎の「忍法帖」シリーズにはちょっと古臭いような先入観を持ったので読むことはなかった。

私が実際に初めて山田風太郎の文章に触れたのは、1993年から95年にかけて朝日新聞の家庭欄に連載されたエッセイ『あと千回の晩飯』でだった。当時72歳の山田風太郎が、老いにまつわるあれこれを書き連ねる、という趣旨のコラムだったが、回を重ねていくうちに「ムムム、この爺さん、やはりただ者ではないぞ」と思わせる内容にグイグイ引き込まれていった。「老人の繰り言」を装いつつ、鋭い洞察と警句が散りばめられ、なおかつ自分ではままならない老化による体の不調の描写が何とも言えない滑稽さを醸し出し、巧まざるユーモアにすっかりファンになってしまった。

ここ数年、海外のホラー系やデカダン系にも飽きてきて、何か面白いものはないかと思っていた所で、山田風太郎を思い出した。文庫にまとめられた『あと千回の晩飯』を再読してみたが、やっぱり面白い。この頃から、森茉莉とか内田百とか、ある意味「電波系老人」の書いた随筆が面白く思えてきた。
で、山田風太郎をもっと知ろうと思い、関川夏央氏によるインタビュー『戦中派天才老人・山田風太郎』も読んでみた。もうこれ、たまらん!「変な爺さん」との対談は漫才みたいで、時々ものすごく鋭いことを言ったと思ったら、素知らぬ顔してボケる、というようなやり取りは面白すぎる。山田風太郎の大ファンである関川氏の聞き書きも、愛に溢れていて心地よい。
その後『死言状』など随筆系をいくつか読んだが、やはり山田風太郎といえば忍法帖なので『伊賀忍法帖』を読んでみた。ああ、変な先入観なんか持たないで、もっと早く読めば良かった!文句なく面白い。血湧き肉躍る複雑な構成、何でもありの忍術と娯楽小説の博覧会のようだ。そんでもって冷ややかで妖艶、華麗な雰囲気。特に妖婦の描き方が凄味があって秀逸だ。ひたむきで善良な「篝火(かがりび)」というヒロインと、淫蕩で欲望のまま生きる邪悪な「漁火(いさりび)」という二人の女性キャラが出てくるのだが、読んでて面白いのはやっぱ漁火の方。ヴァンプ的な魅力がある。忍法帖シリーズはたくさんあるのでまだまだ読み切れないが、とりあえず『くノ一忍法帖』は買ってあるので後で読むのが楽しみだ。

さて、前置きが長くなったが、『戦中派虫けら日記』と『戦中派不戦日記』について。『虫けら』の方は昭和17年から19年にかけての日記で、『不戦」の方は昭和20年の日記だ。山田誠也青年は大正11年(1922年)、兵庫県の山陰側の但馬という山村に生まれた。家は代々医者の家系だったが、5歳の時に父を、中学2年の時に母を亡くす。以後親戚の持ち回りで養われて成長するが、旧制中学卒業後、半ば家出状態で上京する。東京では一応医専受験の浪人生活の傍ら、沖電気の軍需工場で働く。『虫けら』は上京して少し経った頃に書き始めた日記だ。

山田青年はとにかく驚く程良く本を読む。ドストエフスキーから永井荷風からダンテから徳富蘇峰からバイロンまでと、まるで飢えたように読む。沖電気の薄給で大変な貧乏生活なのだが、書物に費やす金額は非常に多い。で、食うに困ると本を古本屋に売って、その日の夕食にありついたりする(ってか、戦時中は欧米の文学は「敵勢文学」って事で禁止されてなかったのかな?古本屋にはあったのか?)。本ばかり読んで受験勉強は全然しないので、医専の受験には一度失敗したりするが、2度目は無事東京医専(今の東京医科大学)に合格。

山田青年は不幸な生い立ちのせいで徹底的な虚無主義者で、周りの俗物をとことん軽蔑している。自分とラスコーリニコフ(『罪と罰』の主人公ね)を重ね合わせたりする所は、いかにも早熟で知的な二十歳前後の青年らしくてちょっと微笑ましい。こういうのはいつの時代も変わらないものだ。って言っても今のこの世代の若者が『罪と罰』を読んでるかどうかは怪しいが。そんな感じでいつも超然としているので、沖電気の同僚や医専の同級生からは、取っつきにくいけど妙に尊敬されてたりする。

そんな山田青年が描写する戦時中の庶民の生活は、非常に冷静な眼差しで見つめられている。戦争中というのは国民全員が軍国主義に洗脳されていたのかと思っていたが、これを読むと意外とそういう訳ではなく、みんな結構言いたいことを言っていたようだ。国民は皆、日本が負けるとは思ってはいない。というか、負ける訳にはいかないと強く思っている。しかし、次第に逼迫(ひっぱく)していく食糧事情、物資不足に、「ほんとに大丈夫なんかいな」と漠然とした不安感を軍部に対して持っている。昭和20年になると毎日のように激しい空襲にさらされるが、日本軍はまったくB29を撃退してくれない。否応なく「もしかしたら負けるのではないか」という不安がよぎる。

『虫けら』で感じられるのは、とにかくひどい食糧難だ。ご飯も白米の割合がだんだん減っていき、いつの間にか芋雑炊しか食べられなくなってくる。戦争が長引くに連れて、ものすごいインフレになっていく。いつ終わるとも知れぬ戦争に、民衆はとことん疲労感を感じている。
『不戦』の昭和20年は激しい空襲や原爆投下、そして敗戦、占領とドラマチックだ。戦時中は学校もほとんど閉鎖状態で、軍医を促成で養成出来る医学校だけが学校として機能していた。山田青年と同世代の若者達はみな戦線に行くが、彼は赤紙が来てもひょろひょろの虚弱体質で健康診断で落ちて、「不戦」で戦時下を過ごした。

「戦争の記録」というのは政治的なものはよくあったりするが、こういう民衆の側からの冷静な記録というのはあまり見たことがなかったので、どんな生活だったのかかなり実感を持つことが出来た。
戦争中は軍部礼賛の姿勢を取っていた知識人たちが、敗戦後は一転して「民主主義」全面肯定となるのを、山田青年は苦々しく見つめている。戦時中は軍部によってまるで悪鬼のようだと吹き込まれていたアメリカ兵が、占領軍として実際に見てみると陽気で朗らかなのに驚いたり。そしてアメリカの圧倒的な豊かさを見せつけられる。日本人はアメリカ人の陽気な素顔に参り、その豊かさに「これじゃ勝てるはずもない」と悟る。そして今まで信じていた「大日本帝国」の化けの皮がはがれ、あれだけ苦しかった戦争が一体何のためだったのかと無常観を抱く。
この辺の日本人の戦時中と敗戦後の心境の変化が、これを読むまではいまいちよく分からなかった。軍国主義だったのがいきなり民主主義に替わるなんて、どうしたって理解出来なかった。でもこれを読んで、戦後の日本がアメリカの豊かさに憧れて、ずっとその背中を追いかけてきたというのがよく分かった気がした。

私は戦争の悲惨さを声高に訴えるような作品は好きではないが(だから小学生の頃も「はだしのゲン」よりは松谷みよ子の「ふたりのイーダ」の方がずっと心に響いた)、こういう冷静な民衆側の記録はきっと「あの時代」を理解する助けとなってくれるはずだ。
そして、この日記は明らかに山田風太郎作品の原点である。

『FUDGE』

2005年05月13日
FUDGE自分にぴったり来るのがどうもないので、昔からあまりファッション雑誌を買わない私だが、最近たまに買うのがある。『FUDGE』という雑誌だ。

私の好みは、シャープでモダンで、やはりちょっとロックテイストが入ってるようなかっこいいスタイルなのだが、こういうのが載ってる雑誌はなかなかない。そりゃ『VOGUE』なんかに載ってる服はかっこいいけど、そうそう買える金額じゃないし(^^;
ロック系って言ったら『CUTIE』とか『KERA』とかになるんだろうけど、こういうのはやっぱティーン向けだから、対象年齢よりも遥かに年輪を重ねた私にはきつすぎる(笑)。
かといって年相応の『VERY』なんかには全く興味ないし。『IN RED』は一度買ったことがあって、なかなかいい線は行ってるとは思ったが、微妙に違う気も。

っていうか、自分のファッションもそろそろ少し軌道修正した方がいいのではないかと思い始めている今日この頃。ロックファッションも、あまり「いかにも」なのは年齢的に言ってちょっともうきつくなってきた。3,4年くらい前はno futureというブランドの服が結構好きだったのだが(丸井ONEに入ってるようなブランドだけど、それほどいかにもじゃなかったので)、鉤十字なんかデザインに使うようになってきて、「あ、もう終わりだな」と感じて買うのをやめた。

「年齢なんか関係なしに、自分の好きなカッコをすればいいじゃないか」と言われるかも知れないが、ある程度は年相応の服装をしてないと、やっぱり「イタい」のだ。30過ぎてゴスロリやギャルファッションなのは、「私は自分を客観視出来ないイタい人です」と世間に宣言して廻ってるようなもので、自分はこういうケースには極力なりたくないと思う訳である。
私は実年齢よりもかなり若く見える方だとは思うが(幻想でないことを願う・・・^^;)、やっぱり二十歳前後の娘のような無邪気な白紙状態の表情は出来ない。表情や目や声に今まで生きてきて積み重ねたことが出てしまうのだ。それなりに老獪になっているのである。

とは言っても、いきなりコンサバにチェンジするのも全然趣味じゃないし、どうしたものかと秘かに悩んでいたのである。ちょっとロックな雰囲気はするんだけど、モード感があって上質な大人の感じで・・・というようなスタイルを模索中なのであった。

そんな中で(話は戻るが)『FUDGE』を本屋で見付けた。ページを繰ると、今時あまり見かけないような雰囲気の雑誌だ。なんかいつもクールなモノトーン系が多い。よく出てくるブランドはコム・デ・ギャルソンとかリミ・フゥとかラッド・ミュージシャンとか。基本的にあの「カラス族」の流れをくんだ雑誌らしい。モデルも血色不良なのばっかり(笑)。
それと、どことなくロック的なアヴァンギャルド臭がするのもこの雑誌の特徴だ。スタイリングがとてもかっこいいので、お手本にしたくなる。
奇しくも今月は「大人のジャズとロックを着る!」という特集で、まさに待ってましたの企画である。ラッド・ミュージシャンのレディースライン(Lad Musician For Lass)はなかなかかっこいい。

また、この雑誌のカルチャー欄は結構メインストリーム系から外れたのが多くて、音楽欄でもトップがAdrian Sherwoodのアルバムだったりする。映画や展覧会情報などもそんな感じだが、それほどスノッブ臭が鼻につくほどでもなく、全体を通してクールに抑えた調子なのでちょうどいい感じ。

それにしても、紹介されるショップが全部東京なので、「フッ、関係ないわ・・・」と思うようになったのが何だか悲しい(笑)。東京に住んでた時は、こういうショップには多分まず行かないんだけど、「いつでも行ける」という気持ちがあった。地方に住んでいてファッション誌をたくさん読んでいる人が、東京は何でも売っている夢のような街だ、と憧れる気持ちが確かに少し分かるようになった気がする。

「ファスト風土化する日本」

2004年10月07日
度々書いているように、私は郊外のロードサイドの風景が大嫌いである。ほとんど憎んでいると言ってもいい。ファミレス、ディスカウント店、家電や紳士服量販店、パチンコ屋、日本中どこに行っても同じ味気ない無個性の風景。
この風景を、みんな醜いとは思わないのか。日本中こんな風景になって、どこかおかしいと思わないのか。こんな所で暮らしていたら、何かが歪むとは思わないのか。

しかしこう思っていたのはやはり私だけではなかった。今日、「ファスト風土化する日本 - 郊外化とその病理」(三浦展 著・洋泉社新書y)という本を読み終わった。この本は、私がずっと肌で感じていたことをデータ的に証明し、論理的に整理してくれたのだ。先日新聞の書評でこの本が紹介されていて、まさに興味のあるテーマだったのですぐに買って読んだ。

著者の三浦氏は新潟県上越市出身で一橋大学卒、パルコの情報誌「アクロス」編集長、三菱総合研究所主任研究員を経て、消費・都市・文化研究シンクタンク「カルチャースタディーズ」を設立という経歴の、消費関連の専門家である。一橋大学に通っていて現在は吉祥寺に住んでいるということは、私がずっと馴染んできた中央線沿線のあの雰囲気が好きな人なのだろう。著者の故郷では著しい郊外化が進んでいるという。

著者はロードサイドのああいった風景を「ファスト風土」と名付ける。郊外の何もなかった土地に大きな道路を引き、そこに沿ってファストフード店やファミレスなどがゾロゾロ建つ。まさに促成栽培の「ファスト」な光景だ。著者はこうした風景が近年の日本社会の病理の根元だと主張する。

近年頻発する不可解な事件(佐世保の小6女児殺害事件、弘前武富士放火事件、そして各地で起こる連れ去り事件等)はほとんどが地方で発生している。三浦氏は、こうした事件現場の近くには必ずジャスコがあると指摘する。
東京にはあまりジャスコはないので、イオンの力はそれほど感じない。しかし名古屋に引っ越してきて、巨大なジャスコ中核のショッピングモールが多数あるのにちょっと驚いた。それも駅の近くではなく車でしか行けないような立地にあり、連日多数の買い物客で賑わっている。買い物には電車で都心に行くのが当たり前だった私には、これはカルチャーショックだった。

経営破綻のダイエーは、比較的駅の近くに店舗を建てていることが多い。しかしイオンは中心市街地から離れた郊外の国道沿い、インターチェンジの近くを特に狙って出店している。地方郊外は車社会だからこうした立地の方が条件がいいし、物流面でも好都合、土地も安いから大規模店を作れる。
また、地方都市は市役所なども中心部からどんどん郊外に移転させている。道路が整備され、都市機能は加速度的に郊外に分散し、中心市街地はシャッター通りとなる。

道路が整備されると人の流れも流動化し、個人は匿名化する。ジャスコのような店が出来ればさらに流動化は高まる。地方の昔ながらの社会は完全に崩壊し、どこの誰とも知れない人々が入れ替わり立ち替わりやって来る。犯罪者も道路に乗ってやって来る。実際、地方のこうした流動性の高い地区の犯罪率は東京よりも高く、少年犯罪の増加も著しい。
素朴でのどかな地方都市、というのはもう完全な幻想となっているという事実に、少なからず驚いた。確かにこっちに越して来てから、東京にいた時よりも地元の犯罪報道が多いような気はしていた。それも名古屋市より近辺の街に多いような。少なくとも私が住んでいた東京多摩地区では、近所での犯罪はそんなに意識するほどでもなかった。

日本は田中角栄の政策以来、地方に幹線道路と鉄道を引くという公共事業の連続だった。これによって地方都市の郊外化が急速に進展した。何もなかった所に車社会のニュータウンが出来、中心部で職住一致の生活をしていた人々が移り住んだ。ここにはコミュニティというものはなく、ただただ消費のみがある。
休日は家族で近くの巨大モールまで車でショッピング、というライフスタイルは、名古屋に来て初めて実感した。しかしそこで売っているのはどこでも同じ大量生産品だ。お腹が空いたらモール近くのファミレスで食事。これも全国どこでも同じ味だ。東北の郊外でも九州の郊外でも全く同じ生活。恐ろしいほどの均質化。
子供も近所には買い物出来る店がないから、親に車で連れて行ってもらう。よって自立性と社会性がなかなか育たない。

歴史ある地方都市の文化は完全に衰退し、チェーン展開の均質文化に取って代わられた。人間の体にもバーコードが入っていそうな生活。これって、本当に気持ち悪くないのか?娯楽といえば量産品ショッピングかカラオケ、パチンコ。道路ばっかり立派で何の文化もない生活。これじゃどうしたって人間は荒廃する。

情報化社会のせいで、東京の情報はいち早く地方にも波及する。昔は東京にしかないものは諦めがついたが、この消費生活に慣れたら我慢は出来ない。すると地方の道路沿いにもブランド品の店も出来、高級品が飛ぶように売れていく。現在、一般的に言って買えないものはなくなっている。地方の人も東京並みの消費生活に満足だ。

でも地方のこうした郊外消費生活では、ただただモノが点状に連なるだけで、その間につながる空気がない。地方の都市文化は寂れてしまった。東京の街が面白いのは、様々な価値観とそれに関連したモノが、多重層に複雑に絡み合っているからだ。例えば吉祥寺はおしゃれな雑貨屋もあれば有名な「いせや」のような古い焼鳥屋もあり、チェーン展開の店も個性的なショップも、若者向けの店もお年寄り向けの店も混在している。これが街の魅力だ。名古屋に吉祥寺みたいな街がないかとずっと探しているのだが。

ということで、著者は均質化した地方郊外生活から、中心市街地の復興を主張する。郊外生活は単調なので、若者がモデルに出来るような様々な職業的価値観がないが、都市には多種多様な仕事をしている人がいる。こういう姿を日頃から見ていれば、将来に希望も抱けず挫折する若者も減るのではないか、という考えである。

日本はアメリカ的郊外生活を歪んだ形で輸入したが、アメリカでも車社会の郊外生活を見直す風潮が出てきている。「ニューアーバニズム」と呼ばれるもので、車だけではなく電車も使い、人の歩けるような街作り、ヒューマンスケールの街作りを目指す。また、複合的な土地活用を志し(住むだけ、働くだけ、ではなくその両方を)、住民のコミュニケーションを促進する、といったものだ。著者はこれを日本の地方も見習うべきだと主張する。

地方で犯罪が多発する理由をもう少し突っ込んでほしかったり、地方がそんなに消費力があるならその収入源の変化も追ってほしかったり、っていう細かい不満はあるが、総体的に非常に刺激的な本だった。名古屋の郊外に住む私が日頃感じていた様々なことに、はっきりと輪郭を与えてくれた感じだ。

でも、肝心の地方住民がこの生活に満足している、という点がどうなのか。ジャスコが出来れば地元住民は大歓迎だ。東京に住んでる人間がいくら「お前らの均質生活を変えてやる」、と言っても大きなお世話と感じるのではないか。そこが気にかかる点である。
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