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名古屋市市政資料館(白壁周辺レトロ建築探訪-その3)

2005年10月02日
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白壁エリアのレトロ建築散策は、この名古屋市市政資料館でシメだ。赤煉瓦と白い花崗岩の組み合わせが目に鮮やかな、壮麗なネオバロック様式の建築だ。
この建築物は大正11年(1922年)に名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所庁舎として建設され、昭和54年(1979年)まで中部地方の司法の中心として実際に使われてきた。昭和59年(1984年)には国の重要文化財に指定され、平成元年(1989年)からは名古屋市市政資料館として名古屋市の公文書夜業製資料などの収集・保存・公開をしている。
やはり司法を司る建築物ということで、厳かで威圧感のある、男性的な雰囲気だ。非常に大きく、敷地内には緑も多くちょっとした公園という感じ。
ここは入場無料で、展示室以外は自由に写真を撮っていいようなので、中央階段の豪華な大広間をいろいろ撮ってきた。

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↑中央階段。舞踏会での「○○国の姫君のお成り~」とかいうシーンにぴったりな感じ。

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↑中央階段から天井部分にかけて。

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↑天井のステンドグラス。抑えた色遣いが美しい。

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↑階段の突き当たり部分にあるステンドグラス。下の方の薄紅色がグラデーションになっていて非常に美しい。

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↑手すり部分の装飾。この建物はいろいろな所でこの意匠が使われていた。

また、明治憲法下の法廷や会議室の復元の展示もある。一般にも展示室を貸し出しているが、こういう優雅な雰囲気の展示室での作品展示というのはなかなかいい感じ。

この市政資料館は名古屋市役所や愛知県庁(こちらの記事参照)からも近いので、一緒に見て回るとさらにレトロ気分も盛り上がる。名古屋城も比較的近い。

■名古屋市市政資料館
名古屋市東区白壁1丁目3番地 Map
Tel. 052-953-0051
開館時間:9:00-17:00
休館日:毎週月曜・第3木曜
入場料:無料
地下鉄名城線 市役所駅から東へ徒歩8分
名鉄瀬戸線 東大手駅から南へ徒歩5分
市バス「市政資料館南」下車、北へ徒歩5分
市バス「清水口」下車、南西へ徒歩8分
市バス「市役所」下車、東へ徒歩8分
http://www.city-archives.city.nagoya.jp/

★関連記事:
文化のみち二葉館-旧川上貞奴邸(白壁周辺レトロ建築探訪-その1)
白壁周辺レトロ建築探訪-その2
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白壁周辺レトロ建築探訪-その2

2005年10月01日
白壁の旧川上貞奴邸(こちらの記事参照)の周辺には、他にもいくつか古い建物が残っている。

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↑旧豊田佐助邸(名古屋市東区主税町三丁目8)
築年:大正12年(1923)
自動織機を発明した豊田佐吉(トヨタ自動車の出発点)の弟、佐助が住んでいた屋敷。洋館と日本家屋から成る。水・木・金のみ公開。

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↑故春田鉄次郎邸(名古屋市東区主税町三丁目8)
築年:大正14年(1925)
旧豊田佐助邸の隣にある、洋風の数寄屋造りのようなスタイル。一部創作フレンチレストラン「デュボネ」(高いらしい)としても営業している。一般公開は水・木・土。

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↑カトリック主税町教会(名古屋市東区主税町三丁目33)
築年:礼拝堂:明治37年(1904)/司祭館:昭和5年(1930)
名古屋・岐阜地方に初めてカトリックの教えを広めた井上秀斎がテュルパン神父と共に造った教会で、名古屋・岐阜地方のカトリック教伝道の歴史の上で非常に重要な意味を持っているそうだ。幼稚園も併設している。

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↑井元邸(橦木倶楽部)*築年・住所不明。旧川上貞奴邸から徒歩3分と近い。
陶磁器商であった井元為三郎氏の旧邸で、現当主の好意により、市民団体によって管理されている。白壁周辺のネットワーク作りの拠点となっているようだ。一般公開は土曜。

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↑愛知県会議員会館
大正年間に名古屋市長も務めた、旧大喜多虎之助邸として建てられた建物らしい。現在は議員会館として使われているようだが、ネットで探してもあまり情報を得ることが出来ず。この辺をうろうろしてたら見付けた。

もっとくまなく歩くと、他にもいろいろ古い建物が見付かるかも知れない。あと、所々に古い長屋もあった。しっとりとしたいい雰囲気の住宅地であった。

★関連記事:
文化のみち二葉館-旧川上貞奴邸(白壁周辺レトロ建築探訪-その1)
名古屋市市政資料館(白壁周辺レトロ建築探訪-その3)

文化のみち二葉館-旧川上貞奴邸(白壁周辺レトロ建築探訪-その1)

2005年09月30日
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川上貞奴名古屋城から徳川園にかけてのエリア(名古屋市は「文化のみち」と名付けている)は、江戸時代には武家屋敷が連なっていた。また明治から昭和初期にかけては、近代産業の担い手である企業家の屋敷町となっていた。特にこのエリアの中央に当たる東区の白壁と呼ばれる地区には、今も比較的多数の歴史的建造物が残っており、かつての屋敷町の名残をとどめていて、名古屋市の町並み保存地区に指定されている。名古屋の高級住宅地でも、八事は戦後発展した言ってみれば「新興成金」のお屋敷街であるのに対し、白壁は江戸時代からの由緒ある「本当の(とこの辺に住む人達は思ってるらしい)」お屋敷街だそうだ。

さて、日本の女優第一号である川上貞奴のこの屋敷は、元々はもっと北の東二葉町に建っていたのだが(よって「二葉御殿」と呼ばれた)、平成12年2月に現在の橦木町への移築復元工事が始まり、平成17年2月、「文化のみち二葉館(名古屋市旧川上貞奴邸)」としてよみがえり、国の文化財に登録された。
川上貞奴(1871~1946、本名 小山貞)は東京生まれで、花柳界で育ち売れっこ芸者となった。才気煥発でエキゾチックな美貌を持った貞奴は、伊藤博文や西園寺公望などの有力者に贔屓にされた。
明治27年(1894)、「オッペケペー節」で一世を風靡した俳優の川上音次郎と結婚。川上一座は海外興行に熱心で、アメリカ・サンフランシスコでの公演で女優「貞奴」として初めて舞台に立ち、アメリカ各地で評判を得た。日本人の女優の第一号の誕生である。またパリ万博などヨーロッパ各国でも公演し、「マダム貞奴」の通称で一躍有名に。貞奴の演技は好評を博し、フランス政府から勲章を授与されたり、ピカソが彼女を描いたデッサンを残していたりする。
音次郎の死後、7回忌を経て貞奴は女優を引退し、名古屋大曽根の「川上絹布(株)」の女社長となって辣腕を振るう。そして初恋の人、福沢桃介と再会。桃介は福沢諭吉の娘婿で、慶応義塾在学中に貞奴を野犬の群から助けるということがあったが、その後二人は別々に結婚。彼は木曽川水系に多くのダムを建設し「電力王」と呼ばれる。貞奴との再会後は恋人として、また事業パートナーとして共に生活する。二葉御殿はサロンとして重要な役目を果たし、貞奴の協力のもとに政財界の要人を接客して事業を拡大していった。

二葉御殿は大正9年(1920)に建てられた。敷地は2千坪を越え、モダンで豪華な様に客達は感嘆の声をあげた。電力王らしく、当時としては最先端の電気設備を備えた屋敷だった。

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↑1階の大広間。

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↑大広間のステンドグラス。

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↑同じく大広間のステンドグラス。

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↑優雅な曲線を描く螺旋階段。大広間から2階に続く。

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↑2階階段付近。この屋敷にはこのデザインの灯りが各所にある。ちょっとアールヌーヴォーっぽいデザイン。

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↑2階書斎。マッキントッシュみたいなデザインだ。

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↑2階のステンドグラス。この屋敷のステンドグラスはどれもどこか日本的な雰囲気のデザインだ。

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↑洋室だけではなく、和室もいくつかある。

完全な「移築」ではなく「復元」なので、ステンドグラスなどは当時そのままのものではないようだ。なので色彩はちょっと鮮やかすぎる感じもあるが、出来る限り当時のままのデザインと材料を再現したそうだ。
和洋折衷の建築様式は独特の趣ある雰囲気を備え、貞奴の趣味の良さが窺える。優雅なかの時代にタイムスリップ出来る建築だ。見応えがあるのでおすすめ。

■文化のみち二葉館 名古屋市旧川上貞奴邸
名古屋市東区橦木町三丁目23番地 Map
Tel. 052-936-3836
開館時間:10:00-17:00
休館日:月曜、年末年始
入館料:大人200円 小人100円
地下鉄桜通線 高岳駅2番出口より徒歩10分
http://www.futabakan.city.nagoya.jp/

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白壁周辺レトロ建築探訪-その2
名古屋市市政資料館(白壁周辺レトロ建築探訪-その3)

UFJ銀行貨幣資料館

2005年05月20日
UFJ銀行貨幣資料館

UFJ銀行貨幣資料館の建物は、名古屋市の都市景観重要建築物等指定物件に指定されている歴史的建築物で、元々は旧名古屋銀行本店として昭和元年(1926年)に建てられた。昭和16年に合併して東海銀行となり、昭和37年から平成12年までは中央信託銀行名古屋支店として使用されていた。平成14年にUFJ銀行貨幣資料館として使用開始されている。

場所は伏見と栄の間の広小路通沿いという、昔からの目抜き通りに建っている。5階建ての鉄筋コンクリート建築で、4階までの6本のコリント式列柱が正面を飾る、威風堂々とした建築物だ。いかにも銀行の本店らしい、男性的な雰囲気だ。
この辺は昔から名古屋経済の中心地なので、どことなくクラシックな華やかさを持ったエリアだ。この貨幣資料館も、そんなムードを盛り上げるのに一役買っている。

中にはまだ入ったことはないのだが、貨幣資料館は世界各国の珍しい貨幣を約1万点展示しているそうだ。また、歌川広重による東海道五十三次の版画も展示しているらしい。

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↑列柱の柱頭部分拡大。

■UFJ銀行貨幣資料館
名古屋市中区錦2丁目20番25号 Map
Tel. 052-211-1111
開館時間:平日9:00~16:00(入館は15:30まで)
休館日:土・日・祝日(銀行窓口休業日)
地下鉄伏見駅3番出口から徒歩4分 または地下鉄栄駅8番出口から徒歩6分
http://www.ufjbank.co.jp/ippan/gallery/kahei/kahei.html

納屋橋/旧加藤商会ビル

2005年02月07日
納屋橋と旧加藤商会ビル名古屋市の中心部を北から南へ流れる堀川は、江戸時代から名古屋の流通を支えてきた重要な水路で、名古屋城の築城と同じ頃に造られた運河だ。陸上交通の発展に伴って次第に使われることは減っていき、ほとんどドブ川の様な状態が長く続いていたが、近年になって堀川再生の動きが活発化している。

納屋橋は堀川に架かる橋のうち最も美しいものの一つで、場所も昔からの目抜き通りである広小路通に架かっている、堀川のシンボル的な橋である。
建設は大正2年(1913)だが、昭和56年に改築されている。高欄などは架設当時のものを再現している。鉄骨造の美しいアーチ状の橋で、細部まで非常に凝った造りである。中央部のアルコーブが優雅なアクセントになっている。

納屋橋

↑納屋橋のアップ。中央部の膨らんだ部分がアルコーブ。夜はグリーンの照明でライトアップされている。

旧加藤商会ビル←納屋橋の東側のたもとに建つ旧加藤商会ビル。昭和6年(1931年)建造の鉄筋コンクリート建築で、地上3階、地下1階建て。
加藤商会は名古屋港に輸入されるタイ米のほとんどを扱っていた商社で、その関係から加藤勝太郎氏はシャム国(現在のタイ)名誉領事に任命され、加藤商会ビルはシャム国領事館として使われるようになった。
戦後このビルは中埜産業に売却されるが、外壁を広告で覆われ、傷みも激しかった。
平成12年に中埜産業はこのビルを名古屋市に寄付し、13年には 国の登録文化財に指定された。その後愛知万博に向けて「堀川再生のシンボル」としてこのビルの改修が進み、今年初めに完了。
地上階1階から3階までは「サイアム・ガーデン」というタイ料理のレストランがテナントとして入り、もう営業を開始している。加藤商会がタイにゆかりが深かったことにちなんだものだろう。また、地下部分は「堀川ギャラリー」として利用され、堀川関連の展示が行われる。

旧加藤商会ビルは結構小さなビルだが、美しい装飾が目を引く瀟洒な建物である。納屋橋とのコンビネーションは素晴らしく、夜はライトアップされてさらにロマンティックな雰囲気だ。

納屋橋から旧加藤商会ビルを望む

↑納屋橋から旧加藤商会ビルを望む(クリックで拡大)。


納屋橋CUBES

↑納屋橋の旧加藤商会の対岸にある「納屋橋CUBES」。創作料理系のダイニングバーが複数集まった飲食店施設で、納屋橋付近の盛り上げの火付け役になった。レトロな旧加藤商会ビルや納屋橋と、こういった現代的な建築が同じ場所に上手く混在している。堀川に沿って、この建物の前は遊歩道になっていて、近いうちに屋台やオープンカフェのようなものが出店出来るようになるらしい。


錦橋

堀川に架かる橋はやはり昭和初期に作られていて、味わい深いものも多い。納屋橋から北上すると、錦通りに架かる「錦橋」がある(上の写真)。

桜橋

桜通に架かるのは「桜橋」。橋の上に付けられた灯りの細工が非常に美しい(上の写真)。
「わ~、素敵~♪」と写真を撮っていたら、この下に花が供えられていた(汗)。誰か飛び込み自殺でもしたんだろうか?(^^;

名駅方面

↑桜橋から見た名駅方面。JRセントラルタワーズの夜景。

■納屋橋
名古屋市中村区名駅南一丁目並びに中区栄一丁目及び錦一丁目
■旧加藤商会ビル
名古屋市中区錦一丁目15番17号 Map
地下鉄東山線・鶴舞線 伏見駅から徒歩5分

名古屋都市整備公社(旧加藤商会ビルに関して)
堀川のページ
Read more "納屋橋/旧加藤商会ビル"

四間道

2005年02月05日
四間道の町並み四間道(しけみち)は名古屋城の近くにある江戸時代の商人町の面影を残した地区で、名古屋市の町並み保存地区に指定されている。戦災で古い町並みがほとんど消失してしまった名古屋では非常に貴重な地区である。

四間道は、元禄13年(1700年)の大火の後、防火の目的と旧大船町商人の商業活動のため、道路幅を四間(約7メートル)に広げたので、その名前がついたと言われているそうだ。石垣の上に造られた土蔵と町屋が立ち並ぶ約100mほどの通りで、この景観は元文年間(1740年頃)に形成されたそうである。
名古屋城は慶長17年に築城されるが、それまでは尾張の中心は清洲(名古屋市の北西部にある、現在の清洲町)だった。名古屋城が完成すると、清洲にいた武士や町人、寺社仏閣等が町ぐるみで名古屋城周辺に移動した。これを「清洲越し」といい、四間道は清洲越し商人の町である。江戸時代に流通の要だった堀川の西側にあり、この水運を利用して繁栄を誇った商人の栄華のあとが見て取れる。

最寄り駅は地下鉄桜通線の国際センター駅だが、名古屋駅からも歩いて行ける。名古屋駅から桜通をポコポコ10分くらい東へ歩いて行き、国際センタービルをちょっと過ぎると「Nagono Salon」の看板があるので、そこで左折。少し歩くと浅間神社(下の写真)があり、ここから北に延びるのが四間道だ。所在地は西区の那古野というエリア。鶴舞線の丸の内駅からも近い。

浅間神社

↑浅間神社

桜通側から見て、右手(東側)に土蔵(下の写真)が並んでいて、左手に町屋(一番最初の写真)が並んでいる。

土蔵

土蔵


また、脇道にもちょこちょこ古い建築が残っていて、神社などがあった。

子守地蔵尊の前の道

↑子守地蔵尊の前の道

子守地蔵尊

↑子守地蔵尊

屋根神様

↑屋根神様。屋根の上に神様をまつるのは名古屋だけの風習だそうだ。

この辺には古い建築をそのまま生かした飲食店などがいくつかあって、とてもいい雰囲気だ。この時私はCafe de Saraというカフェに入った(Cafe de Saraについては別項で書いてます)。こういう風に今でも古い建物を使っているのはとてもいい事だと思う。他の商業利用してない建築物は、そのまま住居として使われている。

Nagono Salon

↑Nagono Salon。土蔵がダイニングカフェとして使われていて、とっても素敵。今度行ってみようと思う。

四間道は時間が止まったような静かな所だ。セントラルタワーズのような超モダン現代建築がある名古屋駅からほんの少しの所に、こんな味わい深い町並みが残っている。

■四間道
名古屋市西区那古野1 Map
地下鉄国際センター駅から徒歩4分
Read more "四間道"

名古屋市役所・愛知県庁 本庁舎

2005年01月15日
名古屋市役所名古屋のレトロ建築第一弾は、名古屋市役所の本庁舎。竣工年は1933年(昭和8年)で、こういう西洋建築的なスタイルに日本の城郭風の屋根を載せた建物のことを「帝冠様式」というそうだ。
高さ53mの塔がランドマークで、最上層の屋根の先端にはシャチが載っていて、名古屋城との調和を図っているそうだ。非常に重厚な建物で、名古屋城方面から歩いてくるとどっしりとした立派な外観が見えてくる。外壁のシックなブラウンに、白のアクセントがとても美しい。

■名古屋市役所本庁舎
名古屋市中区三の丸三丁目1番1号 Map
地下鉄名城線 市役所駅すぐ


愛知県庁さて、名古屋市役所の隣に建っているのは愛知県庁の本庁舎だ。これもとても立派な建物で、1938年(昭和13年)竣工。褐色のタイル張りだが、一階部分は花崗岩を張っている。こちらも帝冠様式の建築。屋根は瓦屋根。
名古屋市役所と並んでいることでこの辺は非常に落ち着いた雰囲気をかもし出している(写真の向こうに写っているのは名古屋市役所)。この近辺は愛知県の官公庁が集中したエリアで、裁判所や愛知県警なども近くにある。緑も多く、しっとりとした街並みだ。

■愛知県庁本庁舎
名古屋市中区三の丸三丁目1番2号
地下鉄名城線 市役所駅すぐ

名古屋の街並み

2005年01月15日
名古屋の街並みというと、やはりきっちり区画整理されているとか「100メートル道路」というのが思い浮かぶ。こういう都市計画は、戦争で名古屋の街がすっかり焼け野原になったから出来たものである。戦後に一から作り直したので、将来の車社会を予想して、車にとって都合のよい街並みになった。栄の真ん中を貫く100メートル道路の久屋大通は、中央部に長い公園のあるデッカい道路である。

しかし、こういうデカい道路のせいで、繁華街が「面」で広がっていかないというのが名古屋の街である。繁華街の活気はやはり徒歩で広がって行くものだから、デカい道路があるとそこで繁華街は寸断されてしまう。
東京は渋谷も新宿も徒歩感覚で広大に広がっている。渋谷から代官山や原宿・青山へ行く間も、ショップは果てしなく連なりブチッと途切れることはない。
名古屋にはあまりこういう街がなく、駅の周辺部にこぢんまりと繁華街がある感じだ。これが私にはとても寂しい。本来車があまり好きではない私にとって、デカい道路は怨嗟の的である。

さて、話は変わるが、すっかり焼け野原になってしまったから、名古屋にはあまり古い街並みが残っていない。名古屋城も戦後再建されたものである。レトロ建築が好きな私にはこれは非常に残念なことである。ニューヨークもロンドンもパリも、古い建築と現代建築が絶妙なハーモニーを奏でているから素敵な街並みなのに。
しかし、各エリアには奇跡的に戦災での消失を免れた建築が残っている。東区の白壁地区や名古屋駅近くの四間道(しけみち)など、「町並み保存地区」に指定されている所がいくつかある。これから、こういう所にカメラを持って行ってみたいと思う。

ということで、このカテゴリー「レトロ建築 in 名古屋」では、そうした素敵な街並みや建築物を写真で紹介したいと思う。
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